オヤジのあくび

タケさんの気楽に行こうよ道草人生の続編です。

オヤジのあくび624

竹内道敬「日本音楽のなぜ?」を読む2

 


第十章は「なぜ語尾を震わせるのか」。オペラ歌手のビブラートではなく、邦楽発声でフレーズの最後を震わせて歌う話です。日本語なのに何をのんびり間延びした歌い方をしているのか? ボクも筆者と同じく日本には残響を利用できる演奏環境がなかったためだと考えます。石造りの聖堂の中で得られるエコーが、日本の寺院にはなかったのです。そこで語尾を震わせて「擬似エコー」を楽しんだのでしょう。また筆者が言うように同じ一門のおさらい会であれば「互いにうたっている内容はわかっているので、演者は自分の声を自己陶酔的に味わってよかった」のかもしれません。

声。日本音楽はあくまでも声による表現が主なのです。楽器は添え物・伴奏。錦心流琵琶で「語りに琵琶の音を被せない」ルールを守り通しているのは、楽器が前面に出て目立ってしまうことを禁じている表れなのでしょう。

第十三章は「なぜ聴く機会がないのか」。やはり琵琶を例に挙げれば、マスメディアで琵琶演奏を取り上げているのは、NHKFM「邦楽のひととき」程度で、テレビで定期的に取り上げている番組を知りません。生演奏で聴く機会は、身内や友人に琵琶を演奏している人がいなければ、まず情報がないでしょう。学校の音楽授業で箏を体験できるようになってきましたが、琵琶はまず扱わない。せっかくSNSが普及して情報を共有しやすい時代が来ているのに、発信側のマネジメントが機能していない。でも生演奏に接することができれば、その音色の魅力に惹かれる人はきっといるはず。琵琶を含めて伝統的な音楽文化が命脈を保つには、より積極的な情報発信=広報宣伝が必要だと感じています。

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