オヤジのあくび

タケさんの気楽に行こうよ道草人生の続編です。

オヤジのあくび387

納富信留プラトン」を読む1

 


「とりあえずこういうことにしておこうか?」そのように言い聞かせないと先に進めないことが、沢山ある。古代ギリシアの人々だってそれは同じでしょう。ところがそこへ「あなたと思っていることは、本当にそれが確かなことなのか? それでいいのか?」と予想外の問いを浴びせてくる者が現れた。

「いったい何なのだ? この人は?」自分なりの答えをひっくり返された事により、多くの人が迷った。いわゆるアポリアですね。だからこの人、つまりソクラテスは人々を困らせていた謎の人だったとボクは思う。まぁ、現在もこのような問いを必要としているはずなのだけど・・。ソクラテス自身は、それで歴史の襞の中に埋もれていってしまったらおしまいのはずだった。

ところが、40歳くらい歳が離れた弟子にプラトンという者がいて、ソクラテスが人々に語り、対話していたことを書いた。それはプラトンがアカデミアなる学園を開いた時期と重なる。教師として伝えたい内容を彼の師であるソクラテスに求めたのだ。

著者はここでプラトンが生きた時代のギリシアを説明する。民主政と寡頭政治の間を行き来する政治体制、かなり酷いことをした寡頭政治の指導者にはプラトンの親戚もいたし、ソクラテスの弟子もいて、やがてソクラテスを死に追い込む遠因となる。揺れ動く現実の前に人々は懐疑的になり、所詮価値なんて相対的なのよ! と、そんな気分だったらしい。(つづく)

オヤジのあくび386

現役世代? に居候していたい欲

 


「持て余すほどの、自分で自由に使える時間があったらいい!」日々仕事に追われているとそのような願望に駆られることがある。けれど実際に勤め人を辞めてしまうと、本当に時間を持て余してしまう人がいるようだ。

何年か前の安倍内閣のスローガンに「一億総活躍社会」というのがあった。広く且つ善意にとらえれば、元気なうちは何か社会と関わっていましょう! ということだろうか? 

この元気なうちは・・は、大事なキーワード。同じ年齢であっても、人それぞれ健康状態や体力は違う。ところが定年制というのは一律にある年齢に達すると「お疲れ様でした」という制度なので、たとえ元気だろうが、本当に疲れ切っていようが、そこまで走らされてしまう。もっと言えば、寿命だって人それぞれなのだから、その人の健康状態に合った活躍の仕方を探すことができるようにしたらいいと思う。

さて、私は公立学校で非常勤講師をしているのですが、流石にフルタイムはしんどいかなぁ? という自分なりの選択です。あまりお金がかからない趣味がいくつかあるのですが、悠々自適の趣味三昧というリタイア生活には、少し早い。現役世代の片隅に居候していたい欲が・・まだあるのです。

オヤジのあくび385

フェリチタス・ムーへ「シュタイナー学校の音楽の授業」を読む2

 


音・音楽との出会いをどのようにセッティングするか。著者はとても計画的にかつ慎重に用意する。音階、言葉、リズム、音と身体の動きをリンクさせる学習、イメージを豊かにするファンタジーを教師が語ること。1年生での著者が弾く躍動的な音の動きに合わせて自由に身体を動かす学習やボール投げを通してリズムを感じる学習などとても興味深い。

思えば、日本だって子どもの歌として「わらべ歌」しかなかった時代は、自然とそれらができていたのだ。ところが近代教育の枠の中で、それらは残念なくらい不自然なカリキュラムの中で見失われてしまった。

初等教育の教科を食べ物に例えてみると、国語はお米、算数は世界共通のパン、社会は肉、理科は魚、体育はビタミン豊富な野菜。図工はフルーツ、音楽はスイーツつまりお菓子だと思う。あまり食べすぎないように時間が限られているのだ。お菓子が嫌いな子は少ないと思うが、甘いクリーム系が長音階なら、醤油煎餅は短音階だろうか? いずれにしても出すタイミングや出し方が大事。

本書では、2年生で拍や音符の長さ、3年生で音階を学ぶまでが紹介されているが、それぞれの音との出会いに子どもたちの心が動く場面が記されており、とても参考になりました。

オヤジのあくび384

フェリチタス・ムーへ「シュタイナー学校の音楽の授業」を読む1

 


直接的には形を捉える事が困難な「熱・光・音・電気」を形而上学の世界から引っ張り出してきたのは、物理学の功績であろう。しかし、それら物理現象が数式で表しにくい人の心や脳にどういう影響を及ぼすのか? については未だ結論が出ていない。例えばクラシック音楽で言えば、フルトヴェングラーやカルロス・クライヴァーの指揮に多くの人が感動するわけなんて、科学で解き明かされていない。

音楽をどう感じて表現するのか? 保育園幼稚園のお遊戯から小学校のリズムダンスまで、幼い頃から私たちも教えられて来たし、教師として教えて来てしまったが、腑に落ちないのが初めに振り付けた動きありきで教えている点で、またもっと自分が感じた事が自分独自の動きとして表せないのか? 実はずっと考えていました。

 


当然なのだけど、音楽を学ぶ活動は知ることより感じることを優先させる。どのように音を言葉を、自分で体の動かしながら感じ取っていくか?

本書では低学年を中心にその過程が実に丁寧に紹介されている。

オヤジのあくび383

高秀秀信「元気都市ヨコハマを創る」を読む2

 


夜景の美しさを売りにしている街は多いけど、2022年現在、横浜の夜景は多くのテレビ局が背景映像として使っているし、時計でもある観覧車やヨットの帆の形をしたインターコンチネンタルホテルランドマークタワーや三連のクイーンタワーと並んでいる姿は美しい。この光景は高秀市政の産物である。そんな金があったら福祉に回せなどと叩かれながら、結果として日本を代表する夜景とヨコハマのイメージを作り上げてしまった。

さて、話題は教育。授業参観へ行って教師の服装に意見を言ったところが、子どもと教師が平等であると返されて腹を立てた話から始まる。高秀さんは全編一貫してよく腹を立てている。「大人も子どもも命は平等、けれど責任の重さは違う。」おっしゃる通り。

学校施設は子どものためのもの。放課後、稽古事や塾通いでお互いの会話や交流が減っている子どもたちへ居場所を提供しようという施策が「はまっこふれあいスクール」。ボクは若手教員の頃、放課後になると校庭で子どもたちと遊んでいた。子どもらは遊びの中でこそ本当の素顔をみせてくれるのだ。はまっこスクールができて、結果ボクの遊び相手は少なくなってしまったけれど、それでよかったのだと思う。

オヤジのあくび382

高秀秀信「元気都市ヨコハマを創る」を読む1

 


およそ30年前、個人的にはようやく結婚し子どもが生まれ、音楽の先生になってしまった、もとい、やらせていただいた時代が、高秀市政の10年と重なっていた。巨大なサッカースタジアムやみなとみらい地区の建設を推進して、各区には地域ケアプラザを設置。ボクには「行政は入れ物を作るから後はお好きなようにどうぞ・・」という箱もの行政の典型のように感じていた。

ところがどっこい、そんなに前からそんなことが考えられていたのか! と驚かされるような発想が本書には出てくる。ホロニック・パスという大平総理の時代に政策研究会で語られていた概念など、実に興味深い。そしてその発想の延長線上で高秀さんは、循環型社会システム検討委員会を立ち上げる。まだSDGsとか声高に叫ばれる前、30年近く前の話なのです。

オピニオンマイノリティーとのパートナーシップについても本書で話題になっている。若者が乗ってしまい、障害者が使えなくなったエレベーターやシルバーシートを差別と感じる人の例などが出てくる。最近も横浜市ではカジノを含むIRの是非が市長選挙の争点になったのだけど、前任市長が突然IR推進を言い始めた根拠や現在の横浜市の財政状況について充分な資料が出されて、語り尽くされたのか? 何ともすっきりしない面が残ってしまった気がする。

(つづく)

オヤジのあくび381

大谷能生「平成日本の音楽の教科書」を読む2

 


音楽教育の話は、中学校へと移行していく。おっとりと筆を進めていた筆者は、突然自身が中学生に戻ったように、伝統音楽学習や従来型の西洋音楽学習の問題点を指摘し始める。まるで思春期の屁理屈をこねくり回していた頃のボクのようである。

公共の場での音楽教育と自我が目覚め表現について悩み始める個は葛藤を引き起こす。非常に良い一般化された当たり障りのない教材とインパクトの強い個性を売りにした生活の中で響いている音楽の矛盾もそうだ。だから学校で教わった音楽と少なからず距離を置きたがる人が多いのだ。

本書で、美空ひばりがポピュラー邦楽を具現化した歌手であったと書いている。演歌からポピュラーまで縦横無尽に歌いこなした不世出の歌手が、平成の年号を聞く頃に亡くなり、彼女以降日本の伝統的な情緒感とポップスの楽しさの両方を表現できる人はいない。彼女の師匠である川田晴久は何でも歌った芸人だけど、その貪欲さが今の歌手からは感じられない。

だから欠落した文化を補うかのように、明治以前の近代音楽教育が始まる前に日本人はどんな音楽を楽しんでいたのか? をしゃかりきになって教えようとしているのかもしれない。

これも個人的な話だけど、何か心を揺さぶる歌声や楽器の音色が先立って、そこがスタートじゃないのかな? 少なくともボクは琵琶の音色が好きになったところから習い始めました。これ聴いておきなさい! 覚えておきなさい! じゃ、その気にならないと思うのですがねぇ。