オヤジのあくび

タケさんの気楽に行こうよ道草人生の続編です。

2019-04-01から1ヶ月間の記事一覧

わからん和歌集 2019 弥生下

1600しゃがみ込み 募集ビラ貼る 掲示板道の向こうに 満開の花 1596夜明け前 これから動く 一日に闇にて静かに 我待つ何かが 1595燃えかすで ポンコツだけど 歩けるか?バスには乗らず 帰る坂道 1593yスリッパを 借りて廊下を 進みたりショートケーキと 別れ…

わからん和歌集 2019 弥生中

1565指揮法は 技術じゃなくて 気持ちだけタクトを振れば 自然と湧く音 1563晴れ姿 袴でそろそろ 歩く様春風好天 卒業の朝 1562缶バッジ 息子のバンド 売り出した何でも試す その意気ぞよし 1549陽光に つぼみ染まりて 雲動く時は止まらず 迫る旅立ち 床屋に…

わからん和歌集 2019 弥生上

1533電車待ち 空色駅舎に 菜花揺れ何も聞こえぬ 浜金谷午後 1530上手い下手 きれいかどうか 二の次で本気でその子 歌えばOK 1523かかりつけ 初めて撮った レントゲン白く小さき 我が心臓よ 1522取れたわけ 歯がボロボロだ 宣告す身体が告げる 老いの入り口 1…

タケさん、ヨコハマを語る3

30年前の成功と未来像 1989年、Yesヨコハマ博が開かれた。バブル期であったので会場は大いに盛り上がった。そのレガシーが、ランドマークタワーであり、横浜美術館であり、大きな観覧車、そしてみなとみらい地区だ。もし、みなとみらい地区が未だに倉庫群で…

タケさん、ヨコハマを語る2

ウェルカム!ヨコハマ 多文化共生とかダイバーシティとか、御託を並べる前から、いろいろな人がやって来て、ごちゃごちゃ暮らしていたのがヨコハマ。人は同時に今まで日本にはなかったものを持ち込んでくるので、ヨコハマには日本で初めてのものがたくさんあ…

タケさん、ヨコハマを語る1

通算すると、もう50年近くのヨコハマに住んでいる。離れていたのは、生後間も無くと小学校4年から大学を出るまでの13年。あとはずっとヨコハマにいる。一応は地方公務員の端くれであったので、任地を離れられなかったこともあるが、やはり自分はヨコハマが好…

平成とはどんな時代だったのか?3

21世紀という時代。 平成という時代で、西暦は20世紀から21世紀へと移行する。そこでは昭和ではあり得なかったことが、いくつも起こる。1995年、Windows95発売によるパソコンOSのスタンダード化。もちろんMacもあるが、日本企業が開発していたOSやワープロは…

平成とはどんな時代だったのか?2

もう一度「ゆとり教育」を振り返る。 「ゆとり教育」を検索すると、こんな文言に出会う。校内暴力、非行、いじめ、不登校、落ちこぼれ、自殺など、学校教育や青少年にかかわる数々の社会問題を背景に、橋本内閣下の1996年(平成8年)7月19日の第15期中央教育…

平成とはどんな時代だったのか?1

平成のスタート 1989年1月、自分は32歳だった。未だ独身。歌舞音曲が自粛ムードの中で、藤沢へ合唱を歌いに通い、戸塚区で戸塚混声をやっていた。それから30年。決して短くはない。もう62歳になってしまった。現在は妻と二人暮し。子どもはさいたま市に住ん…