オヤジのあくび

タケさんの気楽に行こうよ道草人生の続編です。

平成とはどんな時代だったのか?1

平成のスタート

1989年1月、自分は32歳だった。未だ独身。歌舞音曲が自粛ムードの中で、藤沢へ合唱を歌いに通い、戸塚区で戸塚混声をやっていた。それから30年。決して短くはない。もう62歳になってしまった。現在は妻と二人暮し。子どもはさいたま市に住んでいる。

自分史を語るつもりはないけど、結局人は自分をフィルターにしてしか語れないわけでして…。1989年、横浜では横浜博が開かれて、もう大変な大盛況だった。バブル期であったし、今が楽しければそれでいいじゃん的な気配が満ちていた。そのツケを長い間払い続けなければならないことに気づいているのに、無理矢理封印しているかのようでもあった。

平成に入り、2月に手塚治虫さんが亡くなった。翌年2月には、陽ちゃんこと福永陽一郎が天に召された。手塚治虫さんは言うまでもなく漫画の神様で、福永陽一郎さんは、男声合唱界のリーダーだった。他の世界のことは、あまりわからないが、私にとってはニーチェ曰く「神は死んだ」のだ。
漫画界や男声合唱界だけの話ではない。バブル期は、あえなく崩壊してしまう。浮かれて夢を見ていた時代は終わってしまった。政治の世界ではソ連が無くなる。冷戦時代は終わるが、グローバリズムの名の下に、アメリカによる一強支配の時代がやって来た。
思想家は、近代市民社会の終焉を説き、ポストモダンを語った。しかし、それが高度経済成長期のように輪郭のはっきりした未来像として、人々に理解されることはついになかった。

神様を亡くした人々は、時代を彷徨い始める。それが平成のスタートではなかったのか?と思う。