オヤジのあくび

タケさんの気楽に行こうよ道草人生の続編です。

オヤジのあくび491

理系科目とボク

 


勘で「多分そうだろうな」と感じて、わかってしまう学習と、自分の言葉で説明できないと先に進みにくくなってしまう学習があるとすれば、中学校の数学にはその境目が今もある。偉そうににそんなことを書くのは正規職員退職後、バイト的に県内大手学習塾の講師をしたことがあって、中3の数学を教えて「何だ! 45年前と変わらない問題じゃん!」と思ったからです。自分なりの言葉で二次関数の変域とか変量を教えたのですが、何とか理解してくれてホッとした体験があります。

そうは言っても、ボクの躓きは中一のKT先生の「負の数×負の数がなぜ正の数なのか?」よくわからなかったことから始まっていて、因数分解の頃は、半ば暗記に頼るしかなくなっていた。本当なら分解結合法則の延長に過ぎなかったのに、混乱していたのでした。

数学以外の理由があって、意外な高校に進んだボクは、その頃精神的にかなり停滞していて、成績は散々だった。それなのに理系コースを選ぼうとしたのは「自分の可能性を試すために学校に通っているはず」という思いだけは、残っていたのだろう。

本当は文系も理系もなくて、自分が学びたいことが見つかった時に、アイテムとしてどのような知識技能が必要になるのか? ということだろう。それをお節介な大人たちが先回りして、どの道に進むためには、この教科がこのくらいできないと、きそが準備できていないとダメだと決めつけているのだ。難しいのは大部分の青年は、未だ自分が学びたいことなどわからないので、大人が敷いたレールの上を走っているということのだ。

アインシュタインが学校時代どのような成績だったのか? 各教科の成績に偏りが見られた事実を振り返ると、学校は平均点を上げるように生徒を叱咤しているけれど、一体何をしているんだろう? と感じてしまう。