池辺晋一郎「耳の渚」を読む2
・楽譜に書いてある音に忠実であれ! と生前おっしゃっていた朝比奈隆さんのエピソードが出てくる。しかし、朝比奈氏の指揮から著者はベートーヴェンの交響曲で楽譜の指定がないritardandoを見つけてしまう。そして語る。楽譜が音楽なのではなく、現実に音になった時にだけ音楽は在るのだと。
・江戸時代津山藩に宇田川榕菴という洋学者がいた。珈琲や沢山の科学用語など現在につながる訳語を作った人だ。この人が西洋音楽を研究していた話が出てくる。シーボルトと会って音楽の話をしたらしい。海外の情報を得ることが困難な時代に素晴らしい好奇心だと感じます。
・ビートルズについて書いている箇所がある。筆者には、ビートルズの名曲をバロック風にアレンジした作品があると言う。レット・イット・ビーがパッヘルベルのカノンのスタイル、イエスタデイがG線上のアリアをモデルにしていると言われると、説得力がある。同時にビートルズが音楽世界を自在に遊泳したグループであったことを再認識させられる。
・言語によって違う声の大きさという文がある。街て耳にする様々な言語に比べて、日本語は弱いなぁと感じることも多かった。けれどこれは著者の言うように日本語のナイーブさや繊細さなのかもしれない。趣味で琵琶歌を語っているのだけれど、伝統音楽を特徴づけている節回しは、日本語だからこそ可能なのかもしれない。