オヤジのあくび

タケさんの気楽に行こうよ道草人生の続編です。

オヤジのあくび534

磯田道史「無私の日本人」を読む

 


本書は史実に基づいた歴史小説として読めるし、実際登場人物の感情の起伏を書き込むことで、読み手の気持ちを引き寄せることに成功している。

初めは穀田屋十三郎。仙台藩吉岡宿の困窮を救うために奔走する商人の姿を描いている。しかし単なる美談ではなく、江戸後期のしきたりや社会の仕組みを要所要所で解説しながら、250年前はどのような時代であったのか? を歴史学者は解説していく。発端は爪を灯すようにして貯め集めた千両を藩に貸し付けて、その利息(文中は利足)で村を救うという途方もない計画。主人公たちは商人であるが、それを藩に願い出る道の何と遠く長いことか! さらに前例主義・事なかれ主義、自分が責任を取りたくない官僚武士の姿が、今の公務員に何と酷似していることか! 幾多の挫折を経て成就した後も、功を誇らない人々の生き様が汚れのない結晶のように美しく見える。

二番手は中根東里。宇治の黄檗山、荻生徂徠細井広沢、室鳩巣の元で学問を深めるが、士官の道へ進まず、鎌倉八幡宮の鳥居下で下駄を、江戸に戻ってからは草履を売っていた。彼の元へ字を教わりに子どもがやって来るようになり、竹皮草履先生と呼ばれた。

学問を立身出世の手段と考える立ち位置から何と遠い所にいるのだろう! いや明治以来の「身を立て名を挙げやよ励めよ」という発想が純粋に学問や芸術を志す意志の真反対なのかもしれない。

徂徠の儒学→鳩巣の朱子学と辿り、東里は陽明学に目覚め、栃木県佐野で幼い姪を育てながら、人々を教えた。学問のための学問からようやく実践の人となったわけだが、彼の著作はほとんどない。直接教えを受けた人々の心の中に生き続けているのだろう。

最後に登場するのは、大田垣蓮月。「あだ味方 勝つも負くるも 同じ御国の 人と思へば」という歌を西郷隆盛に送り、焦土化した国土から日本を再生しようと考えていた西郷さんの考えを変えさせたと言う。間を取り持ったのが冨岡鉄斎。鉄斎は蓮月の元で育てられ、自分の才能を開花させていったのだ。

本書のあとがきに磯田さんは書いている。「ほんとうに大きな人間というのは、世間的に偉くならずとも金を儲けずとも、ほんの少しでもいい、濁ったものを清らかなほうにかえる浄化の力を宿した人である」拝金主義や我欲にまみれた心とは正反対にある精神が江戸時代には息づいていたと。

 

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