オヤジのあくび

タケさんの気楽に行こうよ道草人生の続編です。

オヤジのあくび426

土屋昭之「老いよドンと来い!」を読む1

 


仏教の本だから当然釈尊の教えが随所に登場する。初めに出てくるのが「世間のモノサシに道理のモノサシを添える」世間のモノサシを服を注文した人の身体、道理のモノサシを仮縫いした洋服に例えている。それから初めて本縫いに入るという。このステップを抜かしてしまったことによるトラブルの数々を思い起こさせる例え話です。

次に「思い通りにならないことがありがたい」日々ストレスの中でもがき苦しんでいる自分にとって「?」と意表を突かれた感じですが、苦しみから自分を解き放つためには、心の持ちようをシフトしないといけないのでしょうね。

「言葉が通じる世界が人間の世界。言葉が通じ合わない世界が地獄。言葉を交わさなくても通じ合う世界を極楽という。」上手いこと言うなぁ。「我今帰る処なし、孤独で無同伴」な状態は、つらく厳しい地獄と言います。現代人の多くがこの状態に陥っていることは自明ですね。

寿命と病気。寿とはボディーのことで生を受けてから死に至るまで形ある実体としての私たち。命とはそこに宿る私たちの精神状態で、悩んだり気を揉んだり、時としてストレスなどがボディーを痛めつけることがある。気の病と書いて病気だから、気のあり方はとても健康状態と関係しているはずだけど、フィットネスクラブとかスポーツクラブでは、ボディー中心の鍛錬をしている気がする。ヨガなどは違うのかなぁ。