オヤジのあくび

タケさんの気楽に行こうよ道草人生の続編です。

オヤジのあくび427

土屋昭之「老いよドンと来い!」を読む2

 


寿とは私たちの身体=ボディーなのですが、元々はゼロから生まれたものです。胎内に私たちが生命を宿した時から、無量の栄養を取り入れ、細胞分裂を繰り返し、現在の私たちのボディーとなりました。そこには母親を始めとする無量の人々の関わりがあり、お陰で私たちは今生きているのです。それに感謝する言葉が「無量の寿の命ずるところへ帰る、ありがとう」で、念仏に言い換えれば「南無阿弥陀仏」なのだと著者は説きます。

ここまで内容を紹介してきて「老いよドンと来い」の老いが、物理的に生きてきた時間によるものではなく、老若を問わず「どう生きていれば」寿命を全うできるか? に軸足を置いたものであることがわかります。実はウチも門徒の端くれなので、念仏を唱える機会はあるのだけど「南無阿弥陀仏」が実は感謝の言葉だったと再認識しました。日々生かされていることのありがたさを忘れてはいけませんね。