「お行儀」は、もはや死語なのだろうか?
マナーは行儀と意味が重なるけれど、カタカナ語では伝えられない日本的な立ち居振る舞いが、きっとあったはず。お行儀という言葉は、行儀よくしなさい! とか、行儀が悪いわよ! などと子どもたちが叱られる場面でさんざん使われてきたので、ボクも含めて叱られてきた側のイメージはよくない。なんとなく学校行事で指導されている態度にも通じる気がする。儀式の儀は行儀の儀ですね。
けれど行儀を忌避してきた結果が、現在見かける眉を顰めたくなるような行動態度に通じているとしたら、もう一度行儀作法をやかましく指導することで一体何を育てようとしていたのか? を振り返ってみる必要があると思うのです。さらには心の問題である礼儀も含めて・・・。こういうことを言い始めるといかにも年相応のオヤジっぽいですね。
例えば挨拶。よく挨拶運動なんて学校を挙げて取り組んでいるけれど、挨拶をすることで周りから一定の評価をいただけるのは、自分の立ち位置や相手との間合いを確保する意味で、すぐにできる簡単なやり方な気がします。
言葉に品があるとか下品な印象を受けるとか感じる人がいるのも、ひょっとすると先の行儀礼儀に対するスタンスの延長線にあるのかもしれません。自分を取り巻く言葉、発する言葉について、日々敏感でありたいと思います。