オヤジのあくび

タケさんの気楽に行こうよ道草人生の続編です。

オヤジのあくび614

菊池清麿「評伝 服部良一」を読む1

 


朝ドラで「梅丸少女歌劇団」が華麗なダンスを披露していたように、大阪は今も昔とエンターテイメントの街だと思います。日本初のジャズバンドは、井田一郎さんによるラフィングスターズで、大阪・神戸にジャズの音色が響きます。服部良一さんの音楽人生の振り出しは、大正後期に活動していた出雲屋少年音楽隊。ここでサクソフォンファミリーのリーダーとして活躍します。やがてロシアから招かれたメッテルに大阪フィルで出会う。管楽器の技量を見込まれてクラシックのオーケストラでも演奏していたのだ。メッテルにはリムスキー・コルサコフ音楽理論を学ぶ。好対照に見えるけど、同門に指揮者の朝比奈隆さんがいる。

クラシックとジャズとでは、奏者に求められる音色が違う気がします。曲に合わせて吹き分けていたのでしょうか? 

レコード業界に関わり始めた頃、大きな影響を受けることになる人が、鳥取春陽。大阪時代の良一は春陽の曲を編曲していました。現在では顧みられることが少ない作曲家ですが、彼は昭和歌謡曲の黎明期を切り拓いた人です。

朝ドラでは、笠置シヅ子が歌ったブギウギシリーズが、服部良一の代表的な仕事として取り上げられている。けれどもそれは主に戦後の話でして、戦前戦中もジャズをベースにしたヒット曲を出している。代表曲がジャズコーラスで歌われた「山寺の和尚さん」。ボクもこの曲は大好きで、港南台アカペラシンガーズでも初期の頃から歌い続けている曲です。

原曲は手毬唄なのですが、リズム感が強調されジャズのフィーリングと日本語が見事に一体化している名曲だと感じています。

 


明日の投稿に続きます。

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