日本の名教師列伝1 吉田松陰3
〜先生たちは日本の未来をどう見据え、語ってきたのか?〜
吉田松陰は、もともとが藩の兵学者であり、松下村塾に於いても山鹿流の兵学書を教科書に用いていたようだ。しかし、テキストはその他にも歴史書、地理書、論語、漢詩等、一人ひとりの個性に応じたテキストが用意されていたと言う。塾生たちは、テキストを自力で読み進めながら、わからないところを松陰先生に聞きに行く。すると、質問に答えながら講義が始まり、やがて「このことについて、どう思う?」と松蔭先生から逆に問いかけが発せられる。すると、その場にいる塾生たちが討論を始める。そのような授業方法だったらしい。松陰先生も教師然として教えるというより、ともに学び合う姿勢を大切にしていたので、時にはどこに先生がいるのか?わからなかったという。童謡「メダカの学校」のようだ。
松陰先生の大切にしていたことを要約した言葉として「志を以って万事の源と為し、選友を以って仁義の行を輔け、読書を以って聖人の訓をかんがえる。」という言葉が残っている。
最後に吉田松陰の言う「志」について考えてみたい。「江戸時代が小国家乱立(諸藩)の上に立った緩やかな連合国家であった体制を脱して、諸外国列強に対抗するため、一つの日本を意識しなければならない。その為には江戸の将軍より京都の天子を中心にするべきだ。」松陰先生の国家観である。事実、明治政府はこの思想のもとに、長州藩ではないが薩摩藩の大久保利通と公家の岩倉具視によるクーデターで成立する。いわゆる王政復古のクーデターである。
問題は、そこから先の話で松陰先生の描いた国家観が実現したからと言って、そこで思考停止に陥ってしまった時代はないのか?という事である。吉田松陰先生は、日本の未来を見据えた素晴らしい教育を松下村塾の塾生に行った。塾生たちは、先生の教えをうけ、明治維新を成し遂げ、明治政府をリードした。松陰先生の描いた未来像は、実はそこまでであって、そこから先は、次の時代の人が考えなさいと言うことだったのだ。時として「志」とか「大和魂」という言葉が一人歩きして、恐らくはリベラルな雰囲気を愛したであろう松陰先生が、草葉の陰で苦笑いしていた時代はなかったのか?と考えてしまうのである。
当時松陰が残した言葉を、萩市立明倫小学校では、今も子どもたちに朗唱させていると聞く。松陰先生の言葉を今の自分ごとに置き換えて、再創造していくことが、百五十余年後を生きている私たちの勤めだと思う。
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